■中国茶・台湾茶の歴史■
文字で登場するのは紀元前200年頃

日本では日本茶、イギリスやインドでは紅茶、中国や台湾では烏龍茶やプーアル茶……と、国それぞれ茶文化が発展してきましたが、このお茶、すべて中国茶から生まれたものです。では元になる中国茶はいつから人間の口に入っていたのかというと、なんと紀元前3400年前頃からだそうです。人間といっても、伝説の話。中国神話の神様が薬として利用していたとか。
文字として登場したのは劉邦の創った漢の時代。残念ながら貴族や僧侶といった特権階級のものだったようです。禅僧が座禅中の眠気覚ましに用いていたと言う話が伝わっています。そして時代は下って7〜10世紀の唐の時代には、日常的な飲み物として庶民が口にする機会も増えたようです。といっても、この頃のお茶は茶葉を蒸して固形に固めてさらに粉にして煮出して飲むといったもの。唐といえば日本人は遣唐使が浮かびます。彼らも煮出しお茶を味わっていたのでしょうか。

特権階級だけでなく庶民も味わう時代に

10〜13世紀宋の時代になると街中に茶館が並び、庶民も味わうようになったそうです。その頃日本は鎌倉時代。武士の台頭とともに禅宗も広がりを見せていた時代です。宋へ留学していた禅僧が帰国する際に、このお茶の木を持ち帰りました。日本でのお茶文化はここから始まります。

そして、14〜17世紀の明の時代、お茶は固形茶の変わりに、釜炒りの茶葉のままで飲むスタイルになります。茶壺はこの時代に生まれました。

17〜20世紀を治めた清の時代には、お茶好きの皇帝が多く、銘茶や茶館、茶楼が多く誕生したそうです。中国茶の発展と同時に紅茶が生まれた時代でもあります。それまでお茶は専売制で中国の重要な財源のひとつだったのですが、紅茶が生まれたことでイギリスはインドに茶畑を作り、中国茶の輸出は激減してしまうのです。中国にとって大きな転換期でもあるこの時代に、大陸南部から台湾への移住がはじまります。新天地を求める人々と共にお茶も台湾へ。小さい島ながら山脈を持ち、寒暖の差が激しいといったお茶の木にとって最適な条件を持つ台湾。中国茶はこの地で台湾茶として発展します。

繊細な台湾茶の誕生

19世紀末に日清戦争がはじまり、台湾は日本の領土となります。日本人は自分たちの日本茶文化をそのまま台湾にも当てはめます。台湾のお茶を扱う業者に、茶葉の等級を研究させたそうです。台北の和昌茶荘のオーナー、張慶さんは40年間も台湾茶の検査官を務めたそうです。彼は40数年間1日も休まず、台湾茶の官能テストを続けています。部屋を暗くし神経を集中させ、お茶の味や香りをチェックするのだとか。張さんのような人々が台湾茶を守り、発展させているのですね。